今年は1940年生まれのブルース・リーが生きていたなら85歳の年でした。
生誕70周年の時には、映画がリバイバル上映されたりしてそれなりにイベントが
開催されましたが、今年は特に目立つイベントもなく静かに終わりそうですね。
ブルース・リーが活躍していた1970年代に、30歳だった人も85歳ぐらいなので
イベントを開催しても当時を知る人が高齢化していて、盛り上がりに欠けそうな
気もするので、費用対効果を考えたらイベントの意味がないかも知れませんね。
もしも、1972年7月20日に32歳の若さで亡くなっていなかったとしても、現在
まで生きていたかどうかはわかりませんが、幼くして遺された息子が映画俳優に
なったにも関わらず、撮影中の事故で死去するなどあまりにもドラマティックな
ことがあったことも考えると、若くして亡くなったことも一つの必然だというか
伝説の中に生きるべくして生まれた人だったとも言えそうです。
当時の香港では、最大の集客力を誇っていたショウブラザーズという映画会社に
対抗するべく開業したばかりで野心に燃えていた新興会社ゴールデンハーベスト
のレイモンド・チョウ社長兼プロデューサーが、その才能と表現力に惚れ込んで
契約したブルース・リーが順調に成功し、ハリウッドのワーナーブラザーズから
中国人として初めてメジャーで主役デビューをしたその時に、もうすでに本人は
他界していたということが伝説として残る大きな理由であると思います。
香港を代表するスーパースターは、日本ではスクリーンに登場した時点ですでに
伝説の存在だったということが、余計に記憶に残ることになった他、当時の香港
で活動していた俳優の中にブルース・リー以上の存在感を持つ俳優がいなかった
ことも、早逝したブルース・リーが惜しまれた理由の一つかもしれません。
「燃えよドラゴン」の公開された時点で、香港では伝説の存在であったがために
死因についてもいろいろな憶測や香港のゴシップ誌(嘘八百で火のないところに
火をつけるタイプのタブロイド判が多かったです。)をそのまま翻訳した情報が
映画専門誌のロードショーやスクリーンなど、今はもう廃刊になっている雑誌に
毎号のように掲載されていて、そういう雑誌を毎月買って読んでいたのでそりゃ
記憶に残るのも当たり前という気はします。
根拠のない自殺説、格闘家がブルース・リーの人気を妬んで殺害したという憶測
から出ていた謀略殺人説、愛人との痴話喧嘩の末に毒殺されたとする説、さらに
薬物乱用によるオーバードース説など、たくさんの噂話が出ていましたが、実際
は香港警察当局による検視結果も公表されていて、鎮痛剤の副作用による脳浮腫
が死因のはずですが、スクリーンの中であれだけ強い30歳前半の活力ある男性が
簡単に死ぬわけがない、というカリスマ性が生身の人間であるブルース・リーが
不死身であるかのような誤解を生んでいたのも事実だと思いますし、観客の立場
からすると死を受け入れにくいキャラクターでした。
個人的な希望としては、いつかシアトルにある彼のお墓参りをしたいというのが
希望なんですが、シアトルも広いですからね、もしも安いチケットを手に入れて
シアトルまでは行けたとしても、お墓まで行ける自信はありません。
ということで、ブルース・リーの85回目の誕生日について書いてみました。
誕生日は11月27日ですけどね。



元々、格闘技が好きということもありましたし。
最近はなくなりましたが、年末は紅白ではなく格闘技の番組を観てました。
両手でヌンチャクを自在に操る姿はカッコ良かったなぁ。
「燃えよドラゴン」は知ってますが、映画は見てないです。
正に伝説になったスーパースターですね^^
コメントありがとうございます。
>映画をほとんど観ない私ですが、ブルース・リーの映画は見に行きました。
>元々、格闘技が好きということもありましたし。
>最近はなくなりましたが、年末は紅白ではなく格闘技の番組を観てました。
>両手でヌンチャクを自在に操る姿はカッコ良かったなぁ。
ブルース・リーの「燃えよドラゴン」が公開されたのが、
1973年12月22日ですから、もう52年前になります。
1974年に中日ドラゴンズが優勝に向かって快進撃していた時に、この映画のタイトルから「燃えよドラゴンズ」という応援歌が作られたので、何年経っても昭和49年が優勝、その前の年に映画が公開されたということから公開年を覚えています。
公開当時は小学生だったので子供だけで名古屋まで行かせてもらえなかったので映画は見られませんでしたが、1975年に中学生になってから二番館(ロードショー終了後)で映画を観ました。
一時期、K-1とかプライドとかを見ていましたが、シバターとか怪しげなYouTuberが出るようになって見るのを止めました。
今はボクシングだけです。
コメントありがとうございます。
>ブルース・リー、32歳の若さで亡くなられたのは知りませんでした。
>「燃えよドラゴン」は知ってますが、映画は見てないです。
「燃えよドラゴン」には若かりし頃のジャッキー・チェンも殴られ役で出演していますが、この映画を撮影した時のブルース・リーの年齢が31歳だったのに対して、ジャッキー・チェンは18歳でした。
ちなみに、サモ・ハン・キンポーは当時20歳で「燃えよドラゴン」のオープニングシーンで、ブルース・リーと演武をしています。
ストーリーは単純ですが、全編でブルース・リーの肉声が聞けるのは「燃えよドラゴン」だけなので、機会があれば見て下さい。
コメントありがとうございます。
>訪問させていただきました。ブルース・リーは亡くなってからしか知りません。32歳とは若かったですね。
「燃えよドラゴン」の日本での公開が1973年12月22日で、亡くなったのが1973年7月20日なので、余程、香港映画マニアでなければ日本デビュー以前のブルース・リーは知らないと思います。
「燃えよドラゴン」でカンフー映画が盛り上がった時には、すでに故人でしたから過去の作品が発掘されて、テレビドラマだった「グリーンホーネット」までが再映されました。
コメントありがとうございます。
>ナイス😊
>正に伝説になったスーパースターですね^^
葬儀では「巨星」と書かれていて、多くのファンが葬儀場に詰めかける様子が記録映像として残されていますね。
ハリウッド映画でヒット作を出したので、生きていればジャッキー・チェンのアメリカ進出も、もっと早かったかもしれません。
コメントありがとうございます。
>ブルースリーと二つ違いなので身近に感じる俳優です。映画俳優はスクリーンの中で生き続けることができるから、いつまでも忘れられずフアンにはたまりませんね。
何年経っても色あせることなく、アクション俳優として、また格闘家としての姿を残せることは故人にとっても、遺族の方にとっても、ファンにとっても良いことだと思います。
コメントありがとうございます。
>ブルース・リーの死亡のニュースは衝撃的でした。
凄い映画を観た後で主演俳優は、もう亡くなっているという事実を知るというのは、なかなかない経験だったと今でも思います。