きたことになりますが、昭和時代には大きな事故が起きていました。
現在は「安全はなにものにも優先する」ことが、あらゆる事業の現場で求められ
労災事故、交通事故をゼロにすることが目標になっています。
戦前・戦中は人命が軽く見られていた時代なので問題外ですが、戦後においても
人命軽視とは言わないまでも、安全第一とは思えない判断によって多くの人命が
失われてきた昭和の事故の歴史があります。
大きな事故は戦後のドサクサというか、昭和20年に戦争が終わって日本が復興に
邁進していた昭和20年代、30年代に集中しているため、生まれるよりも前の話
もありますが、昭和の事案については記録も残っているので、記録や伝承を精査
しつつ、いくつか紹介していきます。
昭和29年9月26日 日本の海難事故史上最悪の事故と記録されている洞爺丸事故
が発生しています。現在のJR(旧日本国有鉄道)が運航していた、青函連絡船の
洞爺丸が台風が接近する中、船長をはじめとする運航乗務員が台風の予想進路を
見誤ったため、函館から青森に向けて出港後、台風の直撃を受けて船体に浸水し
蒸気機関、発電機などが停止して運航不能になりました。
運航不能のために台風に押し流されるまま七重浜(砂浜)に座礁。
座礁したことにより船体が徐々に傾いていきましたが、激しい風と波の力により
船体が横転、さらに波風の影響を受けて船体が転覆した状態で沈没。
この事故により乗員乗客1,314名のうち、1,155名が死亡・行方不明になり歴史
に残る大惨事になりました。
事故の原因としては当時は気象衛星がなく、気象レーダーの信頼性も乏しかった
ことから台風の規模、予測進路の正確性が欠けていたにも関わらず、船長が自身
の台風予測に対する自信によって出航を決めたことが第一の原因になります。
第二の原因として青函連絡船という運用上の特徴として、客車・貨車を積み込む
ための開口部からの海水の浸水を防ぐことが出来ず、船内への浸水によって内燃
機関、発電機が停止したために運航停止になったこと、さらに浸水によって船体
が傾き、船体が傾いたことにより積載していた客車や貨車が横倒しになったため
船内のバランスが崩れて船が一気に転覆しました。
事故後、船体に浸水を防ぐための改修が行われるとともに、船舶による北海道と
本州との接続を見直すために青函トンネルの構想が発表され、昭和36年から建設
が始まり昭和の最期の年になった昭和63年にトンネルが開通しました。
昭和100年目になる今年までに、青函トンネル内での事故は発生していません。
生まれるよりも前の事故ですが、子供の頃から事故に関する関心が高かったのか
大きな事故の記録は大体、図書館で読んで知っています。
月に大体、100冊ぐらいの本を借りていたので、それぐらいは覚えていても当然
なことなのかも知れません。
たくさん本を借りた割には小説は全く興味がなかったので、夏目漱石や川端康成
芥川龍之介などの古典に近いような小説は全く読んでいません。
海難事故の話だけで終わってしまいましたが、まだ話は続きます。



洞爺丸事故もそうですが、いずれも人災の要素が大きいように思います。
「これくらいは大丈夫」ではなく、最悪の事態を想定してほしいです。
洞爺丸事故、生まれていないので、全く記憶にないですが「1,155名が死亡・行方不明」は、驚く数字で大惨事ですね。
ところで「月に大体、100冊ぐらい・・・」凄い子供?幼少期を過ごされてますね!?(=^・ェ・^=)
NICEです(^^)
コメントありがとうございます。
>トンネルができる前に青函連絡船一回だけ乗りました
青函連絡船は1988年に廃止になりましたが、車を運ぶ青函フェリーは現在も1日8往復しているみたいです。
愛知県から青森まで車で行くことはないので、これからも乗る機会はないと思いますが、片道約4時間かかりますから、やっぱり北海道は遠いなと感じました。
コメントありがとうございます。
>洞爺丸事故。記憶にあります。南無阿弥陀仏。
一夜で1,000人以上が亡くなるなんて事故が起きるのは、なかなか想像が出来ないことですが、実際にその時を経験していると忘れることはないでしょうね。
コメントありがとうございます。
>月に100冊読まれていたなんて素晴らしいです。
基本的に体育が嫌いな子供だったので、授業が終わった後、家に帰るまでの間、他の子は大体、運動場で遊んでいましたが、図書室が大好きで入り浸ってましたから1日に1冊ぐらいは学校で読んでました。
後、学校の図書室で本を借りて、市営の図書館で本を借りて、買ってもらった本を読んでいると月に100冊ぐらいになりました。
記事内で書いたように小説はほぼ読んでいません。
架空の話の登場人物を覚えるのがとても不得意で、ほぼ話の内容がまとまらないので小説は無理でした。推理小説なんて全くダメです。
主にエッセイと歴史上の人物の伝記、あとは動物や人体について解説されている本や事件・事故の記録なども好きでした。
知識は増えましたが、小説を読まないので、創作は好きなんですがあらすじだけで小説のように書けません。
映画のストーリーを作って脚本に書ければいいなと思ったことはありますが、それが出来ないのが残念です。
コメントありがとうございます。
>この辺りは記憶にないですが、3億円事件は忘れられない昭和の事件でした。
事故はあまり記憶に残らないと思います。
原因が究明されても特に行政に問題があったりすると、事件の記憶を風化させることを考えているかのような行政処分が出ることもありますからね。
3億円事件の犯人は今でも生きているでしょうか。
あの事件は人を傷つけることなく大金を持ち去ったので、犯人を糾弾する世論はあまり醸成されませんでした。
石川五右衛門とか、ネズミ小僧とか日本人は義賊に対してシンパシーを感じる国民性があるみたいですね。
コメントありがとうございます。
>海難事故では知床沖での観光船の事故が記憶に新しいですよね。
あれは船長が悪すぎますね。
>洞爺丸事故もそうですが、いずれも人災の要素が大きいように思います。
>「これくらいは大丈夫」ではなく、最悪の事態を想定してほしいです。
石橋を叩いて壊すぐらいの人が運航管理をするべきです。
コメントありがとうございます。
>こんにちは。
>洞爺丸事故、生まれていないので、全く記憶にないですが「1,155名が死亡・行方不明」は、驚く数字で大惨事ですね。
記録上はタイタニック号の沈没に次ぐ犠牲者数のようです。
タイタニック号が氷山があるぐらい冷たい海の沖合で沈没したのに対して、洞爺丸は砂浜から数百メートルの場所で転覆しているので三等乗客(一等、二等は甲板にすぐ出られましたが、三等船室は甲板の下だったため避難口が塞がれていて船から出られなかったのが大量の犠牲者が出た原因の一つのようです)の脱出がスムーズで、救命胴衣を全員が着用していれば、もっと多くの人が助かったみたいですね。
>ところで「月に大体、100冊ぐらい・・・」凄い子供?幼少期を過ごされてますね!?(=^・ェ・^=)
本が友達でした。母親が読書が好きだったので欲しい本があれば買ってもらえたので、本棚がすぐに足りなくなってしまい、スペースを開けるために古い本を捨てるのが至難の業でした。
学校の図書館は学校が休みでなければ毎日借りて、毎日返せるので毎日1‐2冊は借りて帰って読んでいました。
学校にいる間に1冊ぐらいは読んでいたので平均して1日に2‐3冊の
本を読んでいました。幽霊とか超常現象の本も好きでした。
市営図書館は最大三冊までしか借りれなかったので、週に二回本を借りに行って図書館でも本を読み、とにかく本が大好きでした。