2024年09月07日

映画音楽 ラロ・シフリン

映画音楽で最初に印象に残っているのは「ジョーズ」と書きましたが、それ以前
に映画館で観た「燃えよドラゴン」の音楽も別の意味で印象的な音楽でした。
音楽の中に台詞が入っている映画のテーマ曲はありませんが「燃えよドラゴン」
は怪鳥音と呼ばれるブルース・リーの肉声が入っています。



「燃えよドラゴン」を映画館で観たのは小学生の時でした。
この映画が大ヒットして、中日ドラゴンズの応援歌として「燃えよドラゴンズ」
が名古屋地区で大ブームになった昭和49年(1974年)のことです。
実際の公開は1973年の年末からでしたが、翌年の春頃まで公開されました。


この映画のヒットを受けて、地元で開催された七夕まつりの時には露天の屋台で
プラスチック製のヌンチャクが爆発的に売れて、歩いている小学生から高校生位
の少年まで、ブルース・リーの歩き方を真似ていました。今なら笑えますね。

「燃えよドラゴン」を観て香港映画に目覚め、「ジョーズ」を見てアメリカ映画
に傾倒した後は、邦画を観ることはほとんどなく、毎週放送されていたテレビの
洋画番組で過去の作品をジャンルに関係なく見るようになり「ダーティハリー」
が大好きになって、名画座(三本立て500円とかで、過去の作品が入れ替えなし
で観られる映画館が中高生の頃はいくつもありました)で「ダーティハリー」の
三本立てとかも観て、ダーティハリーの音楽がラロ・シフリンだと知りました。



1960年代にアカデミー賞候補になっているぐらいなので「燃えよドラゴン」で
唐突に有名になったわけでもなく、どちらかと言えば香港出身の若手俳優主演の
ある意味キワモノ映画の仕事を受けたことが凄いぐらいの話です。

1976年に「さすらいの航海」1979年に「悪魔の棲む家」などでアカデミー賞に
ノミネートされていますが、現在まで受賞は逃しています。



ジャッキー・チェンのアメリカ進出作品の「バトルクリーク・ブロー」の音楽も
担当していますが、プロデューサーのレイモンド・チヨウとはブルース・リーの
作品を通しての付き合いがあったので、その関係で受けたと思います。



その後、ジャッキー・チェンがハリウッドで成功した作品の「ラッシュアワー」
はシリーズ全ての音楽を担当しています。



中高生の頃に大好きだったアメリカABC制作の「刑事スタスキー&ハッチ」でも
音楽を担当していて、曲を聴くとラロ・シフリンの作品じゃないかな?と気付く
耳に残る特徴的な音楽を作る人だという認識があります。

posted by SUZURAN at 20:36| Comment(4) | シネマクラブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
中学の頃、友人が燃えよドラゴンにハマり、確か100回くらい見に行ってました。
Posted by 溺愛猫的女人 at 2024年09月07日 10:36
溺愛猫的女人さん:
コメントありがとうございます。

私はブルース・リーのお墓参りをするために、シアトルの墓地まで行こう
と考えましたが、英語力もないのにシアトルの郊外にあるとされる墓地に
どうやって行けるんだろうと冷静に考えて止めました。

今なら翻訳ソフトやウーバーがあるので行けるかも知れませんが、体力の
面で不安があるので、今から太平洋を渡るのは考えちゃいます。
Posted by suzuran at 2024年09月07日 22:05
初めまして、「燃えよドラゴン」のテーマ曲カッコいいですよね。
音楽だけでも素晴らしいのですが、映画館で見た時、映像とマッチしてカッコいいなーと思いました。
私も愛知出身ですが、「燃えよドラゴンズ」の頃は中学生でよくラジオから流れていたことを思い出しました。懐かしいです。
Posted by YellowDog at 2024年09月08日 13:48
YellowDogさん:
コメントありがとうございます。

アジア系の楽器を上手く取り入れた音楽だと思います。
タイトルバックで、香港の当時の空港(啓徳空港)、九龍、ジャンクなど
香港のイメージを随所に散りばめた映像と音楽がオリエンタルテイストを
醸し出していて秀逸なオープニングだと思います。

「燃えよドラゴンズ」の頃は、歌を聞けばレギュラーのオーダーと顔が
一致していましたが、プロ野球に対する興味は失ったので、もう何年も
選手の名前も顔も分かりません。監督が立浪なのだけはわかりますが、
たまにネットニュースで読む限りでは、昭和の根性論みたいで年の割に
爺臭いことを言っているなと思います。落合監督の器ではないですね。
Posted by suzuran at 2024年09月09日 20:58
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