あの長さでは、藁などでカモフラージュした船体に倭国の兵士たちが乗り込んで
きたとしても足先が貫かれることはあっても、致命傷を負わせることは難しいと
思いましたが、現実的にはこんな感じだったのかも知れません。

後、映画では船体の先端から竜頭が出現し、その口が砲口になっていて口からの
砲撃をしながら、船尾からも砲撃、さらには右舷、左舷の六門の方向からの一斉
の砲撃によって周囲を取り囲んだ侵略軍の軍船は一気に壊滅的な打撃を受けたと
されていますが、展示されていた竜頭から砲撃するのは難しそうです。
あの口から砲門を出すのは物理的に無理な感じがします。

実際の建造物とCGとの違いとも言えそうですが、設計図が現存していない以上は
伝説から推定するしかないでしょうね。
この亀甲船は船内に入ることが出来ます。(無料です)
ビデオが放映されているテレビ画面の写真撮影は禁止ですが、当時の服装を再現
した人形の撮影は問題ありません。
映画で見たのと同じような火砲が置いてありました。
わざわざ消火器がありますが、実際に砲弾が装填してあるわけではありません。
漕ぎ手に対して指示をしている水軍兵士。
研究資料によれば、櫂の漕ぎ手は一本について4人が割り当てられていたという
記述がありましたが、進行方向に対する潮の向きや巡航時と戦闘時の違いなども
あったと思うので、その時々の状況に応じて変えていたのかも知れません。
「水」と書いてあるのは水軍の意味だと思いますが、階級などを表しているのは
帽子なのでしょうかね、明らかに違っているのは武将らしき人たちとは、かなり
来ている服が違っていることです。
水軍の幹部養成機関で教育を受けたものは幹部として指揮を執り、民兵や履修中
の兵士は「水」の軍服のようだなと推測しましたが、確証はないです。
金ピカの亀甲船がありましたが、こういうのって日本の博物館でも見ますね。
階下に降りて見ると、兵士たちの日常生活が再現されていました。
寝ている人、書物を開いて勉学に励む人、食事中の人、弾薬庫、食糧倉庫などが
再現されていましたが、なかなかの秀作だと思います。
最後に李舜臣将軍の見送りを受けて、亀甲船から外に出ました。
相変わらずの雨降りでしたが、意外に人は多かったです。