さすがに寒い時期なので投げ釣りをしている人はいませんでしたが、ブリとか
カンパチ、シイラなどが釣れる有名な釣り場でもあるので、釣りのシーズンに
なると釣り人が多くなるみたいですね。
※羽衣の松の辺りよりも、もっと三保半島の先端が釣り場みたいですが。

富士山の雄大な姿を見ることが出来て、古くからの景勝地だけありますね。
写真は撮りませんでしたが、羽衣の松は三代目のようで、松の木の代替りって
どういう意味なのかがよくわかりませんでした。
初代の松から落ちた松ぼっくりから芽が出たのが二代目で、さらにその木から
松ぼっくりが落ちて生育したのが三代目?ということでしょうか。
羽衣を松の木にかけて水浴びしていた天女も、まさかそんなに長い間、松の木
が大切にされるとは思わなかったことでしょう。
冬なので、夕暮れが早かったです。
というか、そもそも羽衣の松の話がよくわかってなくて、天女が天界から地上
に降りてきて、松の木に羽衣をかけて海水浴をしていたら、それを見かけた男
が羽衣を取り上げて、全裸の天女に返して欲しければ結婚しろといった話だと
ずーっと思っていましたが、そういう話ではないみたいですね。
もしも、そういう話だったら、それほとんど性犯罪ですね。
清水海岸のポータルサイトで確認したところ、初代の羽衣の松は1707年の富士
宝永山噴火の時に海中に沈み、二代目は樹齢650年を越えて衰弱が激しくなり
三代目に引き継がれたということで、特に子孫というわけではなく、御穂神社
のご神体として神社の神主さんが、元気の良い松を三代目として任命した?と
いうことのようです。(一つの謎が解けました)
羽衣伝説の方は、漁師の伯梁という男が、浜で松の木にかけてある美しい衣を
見つけて持ち帰ろうとした時に(この時点で置き引きですね)、天女が現れて
「それは天女の羽衣です、返して下さい」と言ったところ、これは宝にしよう
と喜んだので、「それがないと私は天に帰れません」と天女が泣き始めたため
伯梁は、天上の舞を見せてくれたら、この衣を返しましょうと言いました。
天女は喜んで舞いを披露して羽衣を返してもらい天上界へと帰りました。
という話なんですが、これ話題になっている性暴力芸人みたいなもので、元々
天女の持ち物だった羽衣を返して欲しければ、踊れって、それ犯罪者の論理で
あって、天女が喜んで裸踊りをしたって、それおかしくないですか?と普通は
考えるんじゃないかと思いますが、そういう感じで、女性は男に命令されると
喜ぶという根底にある考えが日本古来の女性蔑視に繋がってるんじゃないの?
なんてことを思ったりします。結婚しろとは言いませんでしたが、着衣を取り
あげて踊ったら返してあげるとは、伯梁はロクデナシ認定です。
決して良い話ではないと思いますが、いかがなものでしょう。
という話はともかく、富士山と海の景色は本当にきれいでした。
江戸時代を代表する浮世絵師の葛飾北斎(1760年生まれ)が「富嶽三十六景」
を残し、その北斎の作品から着想を得たとされる歌川広重(1797年生まれ)
の「冨士三十六景」を残していることから、江戸時代には富士山は特別な存在
だったことが伺えるような気がします。
こんな贅沢はないと話します。
でも、噴火でもしたら ・・・最悪でしょう!
コメントありがとうございます。
仕事からリタイアしたら、富士山の見えるところに住みたいと奥さんと
話しています。現時点では噴火の兆候はないようなので、後20-30年は
大丈夫なんじゃないかと希望的観測をしています。
富士山の噴火よりも原発の方が現実的な怖さだと思っています。
ノー天気な岸田文雄や金の亡者の国会議員数人を志賀原発の内部まで
調査に行かせたいものです。
コメントありがとうございます。
フィルターをかけたわけでもないですが、富士山がはっきりと写らなくて
夕暮れが近かったからなのか、理由がよく分かりません。
三保海岸からの富士山も、日本平からの富士山もきれいでした。
ずっと平和に穏やかに富士山を見ていられることを願っています。