2022年11月10日

NSP・天野滋さんの思い出

1970-80年代にフォークソングが流行した頃に、「夕暮れ時はさびしそう」や
「冬の花火はおもいで花火」「赤い糸の伝説」などの叙情派フォークの代表的
存在と言われていたNSPのリーダー天野滋さん(享年52歳)が大腸癌を原因
とする脳内出血のため亡くなって既に17年が過ぎました。
※ 2005年7月1日没

年齢的には井上陽水や吉田拓郎、南こうせつといった御大の世代よりも10歳程
若いわけですから、やはり早すぎる死という感覚が今でもあります。



なんのかんの言っても寿命はあると思うんですよ、生き物なんですから。
でも、織田信長の時代のように「人生50年」の時代ではありませんから、50代
で逝ってしまうのはいくらなんでもやっぱり早過ぎる、と亡くなった17年前に
思いましたし、もうすでに亡くなった年齢を超えている実感として、まだまだ
悟りを開く年では絶対にありません。人間「煩悩」は大事なのです。


元々、NSPというグループはあまり興味はありませんでしたが、高校生の時
同じクラブ活動で好きだった女の子からNSP良いから聴いてみてと言われて
「冬の花火はおもいで花火」しか知らなかったのにアルバムも買ってしまった
ということで、単純に好きな女の子と同じ歌を聴くことでもっと仲良くなれる
なんて不純かつ浅はかな理由でNSPの曲の世界に入ったわけです。



割と知られている曲がある割にあまりメジャーなイメージがないのは詞の中の
ワードが「夕暮れ」とか「線香花火」とか「さようなら」といった、影のある
言葉が多いからなのかも知れませんが、天野滋という人自身が病気で長期入院
をしたりして印象が薄いせいかも知れません。

NSPというグループの名前も一度聞いて忘れないという強い語感は無いので
元々のニューサディスティックピンクという名前の方がインパクトは強いとは
思いますが、まだあまり売れていない頃に地方巡業をしていた時にコンサート
の会場に不釣り合いなお父さんがたくさん集まってきたので、理由を聞いたら
「ニューサディスティックピンクショー」というコンサートの看板を見た瞬間
そっち系のサディスティックなショーだと思ったとのことで、グループの名前
が短縮されてNSPに変更されているのですね。

意味はもちろん、メンバーがそっち系の趣味の持ち主である…わけではなくて
アメリカの「ショッキング・ブルー」という音楽グループの名前からイメージ
したのか、インスピレーションが湧いたのか、までの詳細は存じ上げませんが
ショッキング・ブルーが元なのは確かです。



NSPとしての楽曲だけではなく、クリスタルキングの「蜃気楼」の作詞とか
浅香唯、伊藤つかさ、堀ちえみなどのアイドル、ポプコン繋がりでヤマハ所属
のアーティスト(現在の所属は知りません。)にも作品提供していましたから
同じように北国出身(NSPは岩手県出身者)の「ふきのとう」と共に叙情派
フォークのけん引役として一つの時代を築いたNSPは終焉しましたが、作品
として残っている「歌は世につれ」という題名そのままに、いつまでも楽曲は
残っていくことと思います。



ちなみにメンバーだった中村貴之は、ポプコン出身者が参加する全国ツアーに
参加していますのでコンサートに行けば会うことが出来ます。

posted by SUZURAN at 20:35| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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