姿が雑誌に掲載されたりとか、全く意味のない報道を繰り返された挙句に
当事者の周囲以外には、なんの影響も迷惑もかからず法律に違反している
わけでもない自由恋愛に対して、ヒステリックに糾弾する良識派を名乗る
男や女たちの批判に屈する形で斉藤由貴が全てのCMと来年の大河ドラマ
の出演を辞退しました。

以前にも書きましたが日本には姦通罪はありませんし、結婚制度について
重婚は否定されていますが、婚姻関係以外の恋愛について法律上で明確に
婚外恋愛が否定されているわけでもないのですから、本人同士が内緒事に
して交際している限り、それが他人に批判されるいわれはありませんし、
ましてや仕事を奪うような執拗な個人攻撃は人権侵害レベルです。
不倫は文化だと言って物議を醸した石田純一という人もいましたが、人が
個人としてどんな人生を歩んでいくのかを決めるのは本人です。
頭にパンティーを被って変態とか書かれていますが、それぐらいのことで
変態と言い放つ鈍感な感性の方が心配ですよ、個人的にはね。
世間体がどうかだとか、倫理がどうとか不特定多数の集合体であるムラが
全体のバランスを考えて不公平感をなるべく減らしていこうと考えた基準
がいわゆる規範であって、それに縛られることこそが人間が正しく生きる
道であると考えるのは個人の自由ですが、その規範を守れない人は攻撃を
受けても仕方ないというのは間違っています。
斉藤由貴が夫から離婚を求められたらそれは夫婦間の問題であって夫婦が
話し合いをすれば良いことですし、子供から母親であることを止めてくれ
と言われたら、それは親子で話して解決すれば良いことです。
相手の妻が口を挟んだり、斉藤由貴の夫が不倫相手に対して損害賠償とか
そういう話をしたとしたらそれも個人的にはおかしいと思います。
自分の夫が斉藤由貴に誘惑されたとして自分よりも斉藤由貴を選んだのは
夫であるわけですし、不倫相手が斉藤由貴を誘ったとしても、その選択を
したのは斉藤由貴なんですから、何故、自分を選ばなかったのかという点
の方が二人の関係を見直すために必要な答えは出るでしょう。
新たに選択した相手の方が素敵だったという結論になれば、大好きな相手
ではないけれど、もう一度大好きになれるようにするのか、もう大好きに
なることはないということになるのか、それに対して結論を出すのが二人
のために必要なことです。
精神的に傷ついたから損害賠償を請求するなんて言い出したとしたら結局
愛情が冷めているから、現実的お金が欲しいということであり、愛のない
夫婦関係だったからこそ、新たな恋愛が必要だったことを肯定することに
繋がっていくわけで、もう終わっている愛に見切りをつけた純愛だったと
いうことが証明されれば不倫だと外部で騒ぐ人間がバカに見えます。
損害賠償なんて要らないから二人の関係をもう一度やり直そうという方向
へ進むとしたなら、双方の行き違いの部分を再確認して、もう一度恋する
ことから始めて行けば良いわけで、そこに損害賠償なんて必要ないです。
私は愛する対象を見誤っていましたが、再度二人で愛の欠片を積み上げて
いくことに合意しました、で他に何も言葉なんて要りません。
それでは満足できない他人を不幸にしたい人が多すぎるのが、現代日本の
閉塞感のある社会ということなのでしょう。